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細部から見る

UBC新渡戸記念庭園の石灯籠、橋、石組

道がどう曲がるか。橋をどう渡るか。灯籠をどこに置くか。石をどう据えるか。その一つひとつが、庭の見え方と歩き方を変えていく。

分類:庭園 / 美学 / 設計 | 読了:約 12 分 | Japanese Version 1.1 | 公開:2026-06-17
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前稿の外に残った細部

UBC新渡戸記念庭園についての前稿を書き終えたあと、もう一つ大きなテーマが残ったというより、いくつかの細部が心に残った。

前稿で書いたのは、一つの日本庭園が、なぜカナダにありながら、ただ「日本らしく見える」だけではなく、日本庭園としての確かさを異国の土地で成立させているのか、ということだった。

けれども、庭園の細かなつくりについては、一つひとつ書くことができなかった。

道のこと。
橋のこと。
石灯籠のこと。
水音、植物、苔、石のこと。

そうした細部は、小さく見える。

けれども、庭の印象は、むしろそういう場所で決まっている。

細部は付属品ではない。
庭を成立させるものは、むしろ細部にある。

構想は大切だ。ただ、その構想が本当に庭になるかどうかは、最後には細部で決まる。道がどう曲がるか。橋をどう渡るか。灯籠をどこに置くか。石をどう据えるか。その一つひとつが、庭の見え方と歩き方を変えていく。

庭は足もとから始まる

新渡戸記念庭園は、門をくぐってから始まるわけではない。

門の前から、すでに人の身体に働きかけている。

庭に入る前に、不揃いな石の道がある。そこを踏むと、まず足の裏が反応する。平らで歩きやすい舗装ではない。外の世界から離れて、これから別の空間に入るのだと、足もとで知らせてくるような道である。

その先には、人をはっとさせる立石がある。

標識でもなく、説明板でもない。ただ静かに立っていて、この先に大切なものがあると知らせている。

新渡戸記念庭園は、最初から風景を急いで見せない。まず歩みを少し遅くさせ、足もとから注意を向けさせる。

日本庭園は、目だけで見るものではない。

歩くこと、音を聞くこと、向きを変えること、立ち止まること。そのすべてが設計の中に入っている。

景色より先に、順序がある

庭に入ったあとも、道順は任意ではない。

この庭園では、まず右へ進み、反時計回りに歩くことが勧められている。この道は「月の道」と呼ばれ、時計回りの「太陽の道」と対になる。

名前だけ聞くと少し神秘的に思えるが、重要なのは言葉そのものではない。順序である。

どこから始まり、どちらへ進み、いつ水音が聞こえ、いつ滝が見え、いつ石灯籠に出会い、いつ橋によって次の段階へ導かれるのか。それらは偶然ではない。

写真は風景を写すことができる。けれども、順序までは写せない。

写真は一つの橋、一基の灯籠、一面の池を写すことができる。けれども、そこへどう歩いて行ったのかは写せない。ある角で木陰に遮られ、次の一歩で水音が聞こえ、そのあとで滝が現れる。その時間の流れは、写真には残りにくい。

よい庭は、すべてを一度に渡さない。

風景を見せる速度まで、庭が決めている。

水音のあとで、庭が開く

庭に入ってまもなく、大きな新渡戸灯籠に出会う。

この春日灯籠は、新渡戸稲造を記念して置かれたものだ。この庭を人生の道筋として読むとき、しばしば父のイメージとして理解される。

さらに進むと、道が分かれる。

一方は短く、なだらかで歩きやすい。もう一方は少し急で、歩きにくい。単なる動線の違いではない。人生の早い段階で、人がそれぞれ異なる道に出会うことを思わせる。安全な道もあれば、難しい道もある。けれども、難しい道に風景がないわけではない。

飛石を一歩ずつ渡っていくと、水音が近づいてくる。

そして、ようやく滝が現れる。

強い水の流れと、静かな流れが向き合う。剛と柔が並ぶ。まず水音が来て、そのあとに景色が来る。

滝のあとで、庭は本当に開き始める。

ここには、日本庭園でよく言われる「見え隠れ」がある。よい庭は、すべての景色を一度に開かない。曲がり角、遮り、木陰、水音、石のあいだで、少しずつ景色を見せていく。

歩いている人は、ただ散策しているつもりでいる。

けれども、その視線はすでに導かれている。

風景は、横に広がる絵巻のように展開していく。

数歩進むごとに、画面が変わる。

橋は象徴を歩かせる

前稿でも触れたように、新渡戸稲造は、自分が太平洋に架かる橋になりたいと願った人だった。ここでは、その象徴をもう少し細かく見てみたい。

庭園の中で最も重要な橋の一つが、七十七本の丸太で構成された土橋である。

単に水を渡るための橋ではない。橋の前に置かれた記念石には、新渡戸稲造の「海を越える橋」になりたいという願いが置かれている。

ある橋は川を越える。
ある橋は文化を越える。

日本庭園において、橋はしばしば転換を象徴する。

一方の岸から他方の岸へ。
一つの世界から別の世界へ。
人生の一つの段階から、次の段階へ。

新渡戸記念庭園では、この橋にさらに別の意味が重なる。

新渡戸の理想が、身体で歩ける経験になっている。

橋を渡る人は、水面を越えるだけではない。

その瞬間、象徴は眺められるものではなく、本当に歩かれるものになる。

庭園には、ほかにも橋がある。

十一枚の板で構成された平橋は、足早に渡ってしまいやすく、その先で婚姻の灯籠へつながる。この軽さが面白い。大きな説明はない。ただ道の上で、人生には早く次の段階へ進んでしまう道もあることを、そっと示している。

さらに進むと、八橋と杜若の区域がある。八橋は、折れ曲がるように架けられた板橋である。七月になると、杜若の区域が水に覆われ、花が水面に咲いているように見える。

橋、水、季節、花。

どれか一つだけが目立つのではない。それらが重なって、その一つの道に時間が生まれる。

一基の灯籠が、一つの節目になる

庭園には多くの石灯籠が置かれている。

日本庭園を初めて見る人にとって、石灯籠はもっとも記憶に残りやすいものかもしれない。いかにも日本らしく見えるし、石灯籠があれば日本庭園らしくなる、と思われやすい。

けれども、石灯籠は単なる雰囲気づくりの道具ではない。

もともとは供灯と関係し、やがて神社や庭園の中にも入っていった。茶庭が成熟していく中で、石灯籠は庭の重要な構成要素になった。もちろん光を灯すものではあるが、庭の中では、照らしているのは道だけではない。

立ち止まる場所。
道の転換。
選択の気配。

新渡戸記念庭園では、石灯籠が人生の道筋の中に置かれている。

新渡戸灯籠は父の象徴として読まれる。雪見灯籠は母の象徴として読まれることがある。婚姻の灯籠は、道を婚姻と成人の段階へ進める。新渡戸家紋灯籠はさらに特別で、新渡戸の出生地である盛岡の石を使い、新渡戸家の紋に含まれる月と星を刻んでいる。

これらの灯籠は、ただ日本的な記号として置かれているわけではない。

一基一基が、小さな灯のように、人生の節目を照らしている。

さらに深く見れば、光、日付、新渡戸稲造の死と呼応するような仕掛けもある。そうした細部が心を動かすのは、謎解きのようだからではない。一人の人間の生命の時間が、太陽、石、影、水音、季節の中にそっと置かれているからである。

家族亭の飯椀

家族亭まで来ると、庭園の象徴は急に生活に近づく。

この亭は日本の檜でつくられている。屋根の上には、椀を伏せたような小さな飾りがある。静かに屋根の上に置かれた、一つの飯椀のようにも見える。

この意匠は、重く説明しなくても伝わるものがある。

飯椀は生活そのものだ。

食べること。
家を持つこと。
日々を続けていくこと。

庭がここまで来ると、人生は婚姻や家族という言葉から、毎日の食事のところへ戻ってくる。

亀島と水面の構図

池の中の島も、ただの島ではない。

この島は、亀島として読むことができる。亀は日本文化の中で、長寿や持続を象徴するものでもある。島の輪郭と石の配置によって、亀の頭、脚、尾が暗示されている。

ここで石は、単なる添え物ではない。

島の輪郭であり、水辺の重みであり、水面全体の構図を支える中心でもある。

植物も添え物ではない

この庭園の細部は、橋、灯籠、石だけにあるわけではない。

植物にもある。

庭には、カナダ西海岸に見られるウエスタンレッドシダーやウエスタンヘムロックが使われている。それらは東京式の剪定によって、幹や枝の構造がはっきり見えるように整えられている。

ここに、新渡戸記念庭園の大切な節度がある。

日本の植物をすべてカナダへ運び込んだわけではない。日本の材料だけで海外に日本庭園をつくったわけでもない。土地の植物を用いながら、日本庭園の剪定と見方によって、それらを庭の秩序の中へ入れている。

日本庭園としての確かさは、複製ではない。

異なる土地の上で、形式、素材、感覚が互いに矛盾しないことにある。

石組は庭の骨格である

ただ、橋、灯籠、島、植物だけでは、日本庭園はまだ語り尽くせない。

日本庭園でもっとも言葉にしにくいものは、やはり石である。

より正確に言えば、石組である。

これはとても不思議なことだ。日本庭園は人工的につくられるものなのに、自然の石を庭に運び込み、非常に人工的で精密な方法で据え直す。そして最後には、その石がもともとそこにあったように見えなければならない。

石は庭の部品ではない。
石は庭の骨格である。

石組は、石をきれいに並べることではない。

石の面、頭、肌、裂け目、傾き、高さ、地中にどれだけ埋めるか。そのすべてが、石が空間の中で落ち着くかどうかに関わってくる。

浅く置かれすぎた石は、地面の上に浮いて見える。構図に合わせすぎた石は、無理に押し込まれたように見える。本当に据わった石は、そこにずっと前からあったものを、人がようやく見つけたように見える。

『作庭記』には、石の求めに従って石を据える、という有名な考え方がある。

一見すると玄妙に聞こえるが、作庭の現場ではとても具体的な話である。石には正面があり、背面があり、頭があり、脚があり、勢いがあり、無理をさせてはいけない向きがある。よい作庭家は、石を材料として扱うのではなく、まず石を読み、待ち、その石が成立する場所へ置いていく。

この庭園を作庭したのは、日本から来た森歓之助である。UBCは彼をバンクーバーへ招き、庭の設計と施工を任せた。森は1959年にUBCへ到着し、その後14か月をかけてこの庭園をつくり上げた。

関連研究には、具体的な数字も示されている。新渡戸記念庭園には、森歓之助が自ら選んだ約500個の石、約100種の植物、そして40種を超える苔が使われているという。

これらの数字は、庭がどれほど複雑かを誇るためのものではない。

そこにどれだけ選び、捨て、置き直し、待つ作業があったかを感じさせる数字である。

石はブリティッシュ・コロンビア州各地から集められ、植物には当地の植物と日本から運ばれた植物が含まれていた。森歓之助は石や植物を据えただけではなく、その後の維持の方法も現地のスタッフに伝えた。

彼がそれほど多くの石を選んだのは、自然らしさを積み上げるためではない。

一つひとつの石が、人工の庭の中で自分の位置を得るためである。

とくに茶庭、つまり露地の石組は、日本以外にあるものとしては最良の例の一つだと見る研究者もいる。

石と石の関係が成立すると、庭には骨格が生まれる。

その関係が成立しなければ、いくら灯籠や松や水を置いても、それは日本風の造園で終わってしまう。

のちに重森三玲が石について語っているものを読んで、この話は自分の中でつながった。

重森三玲は作庭家であると同時に、日本庭園史の研究者でもあった。長年にわたり古庭園を実測し、記録した人である。彼にとって、石は材料ではなく、性格を持ち、姿を持ち、生命感を持つ存在だった。

このことは、言葉だけで言い切るのが難しい。

けれども、本当に優れた石組を見たことがある人ならわかる。石は庭の中に置かれているだけではない。石が成立すると、空間全体が立ち上がる。

書物から現場へ

私自身も、こうした細部が単なる理論ではなく、実際の現場で本当に問われるものなのだと、あとになって少しずつ理解していった。

あるとき、日本庭園研究者の粟野隆教授を台南の日本式史跡修復庭園へ案内したことがある。橋を見た彼の最初の反応は、景色を褒めることではなかった。

「なぜこの橋には橋挟石がないのですか」

橋挟石は、橋の入口の両側に置かれ、橋を固定する実用的な役割を持つと同時に、視覚的にも橋を安定させる石である。石橋だけでなく、木橋や土橋にも使われる。

普通の来園者は気づかない。

けれども、日本庭園をよく知る人は、そこに何かが欠けているとすぐに感じる。

そのとき私は、普段は見えない細部でも、欠けると庭はどこかで崩れるのだと知った。

のちに、重森千青先生が私たちの庭で石灯籠を据えたときにも、似たことがあった。

灯籠を据え終わると、彼はすぐに小さな石はないかと尋ねた。そして灯籠の前に、平たい小石を一つ置いた。

石灯籠は火を灯すものだから、点灯するときに人が踏む場所が要るのだ、と彼は言った。

とても短い言葉だったが、強く印象に残った。あとになって、その平石は庭園の用語で言えば灯上石と呼べるものだと知った。

石灯籠は、ただそこに飾るものではなかった。

人がどう近づくかも、設計のうちに入っている。

茶室の前で、足取りが遅くなる

茶室に近づくと、庭はまた別の速度になる。

茶室や枯山水の庭へ近づく前に、道の石が歩みを遅くさせる。近くには待合、追憶の灯籠、茶の湯の前に手を清める蹲踞がある。

茶室へ向かう露地は、ただの通路ではない。

人は露地を通り、それから茶室へ入る。

この道は、人を建物へ連れていくだけの通路ではない。注意を少しずつ茶室と茶の湯へ向けさせる道である。足取りが遅くなり、蹲踞で手を清め、身体が低くなり、外の世界が少しずつ遠ざかる。

どれも小さな動作である。

けれども、その小さな動作が、人の状態を変えていく。

ここまで来ると、庭はもう風景だけではない。

人の身体と心持ちを、少しずつ整え始めている。

日本庭園としての確かさは、細部から生まれる

前稿で書いた「日本庭園としての確かさ」は、抽象的な印象だけで生まれるものではない。

それは、こうした具体的な配置の中から少しずつ立ち上がる。

最初に右へ進む道。
七十七本の木でつくられた橋。
人生の節目に現れる石灯籠。
家族亭の飯椀の意匠。
石によって暗示される亀島。
何度も選ばれ、据え直された石。
茶室の前でゆっくりになる足取り。

前稿では、新渡戸記念庭園が人に与える感覚を書いた。

この文章では、その感覚がどこから来るのかを、もう少し細かい場所から見てみた。道がどう曲がるか。橋がどう架かるか。灯籠がどこに置かれるか。石がどう据えられるか。水音がどう現れるか。茶室の前で足がどう遅くなるか。

この庭園は、自分がなぜ日本庭園に見えるのかを急いで説明しようとはしない。

ただ人を中へ入れる。

そして歩いているうちに、その理由が少しずつ腑に落ちてくる。

参考資料補足・謝辞

参考資料補足

  • 前編として、Tang-Yu Life 掲載の「本物らしさとは、日本をそのまま移すことではない:バンクーバー・新渡戸稲造記念庭園から考える、異なる土地で日本庭園が生きるということ」をあわせて読むことができる。
  • UBC Botanical Garden の新渡戸記念庭園に関するページでは、この庭が伝統的な日本式の回遊式庭園であること、新渡戸稲造が「太平洋の橋」となることを願っていたこと、また庭園内の石、灯籠、樹木、灌木が意図をもって配置されていることが説明されている。
  • 庭園の道順、「月の道」、門前の石の道、警醒の石、石灯籠、七十七本の木橋、十一枚板の橋、八橋、亀島、家族亭、植物の剪定、茶室前の露地と蹲踞などの細部は、UBC Botanical Garden のセルフガイドマップおよび関連資料を参照した。
  • 森歓之助が新渡戸記念庭園の設計者として招かれ、1959年にUBCに到着し、14か月をかけて設計と施工を行ったこと、石材がブリティッシュ・コロンビア州各地から選ばれ、当地の植物と日本から運ばれた植物が組み合わされたことについては、UBC の庭園史ページを参照した。
  • 露地、茶室、茶の湯の前の心身の切り替えについては、UBC Botanical Garden の Tea House and Roji に関する説明を参照した。
  • 石組、橋挟石、灯上石、石灯籠、雪見灯籠、露地などの用語については、奈良文化財研究所 Japanese Garden Dictionary を参照した。
  • Guy Dugas, “A Bridge Across the Pacific,” The Journal of the North American Japanese Garden Association, Issue No. 12, 2025. 本誌はオンラインでは公開されていない。本文中の約500個の石、約100種の植物、40種を超える苔、茶庭の石組、光と記念性に関する細部は、主に同論文に基づいている。

謝辞

The Journal of the North American Japanese Garden Association, Issue No. 12, 2025 の全号を送ってくださった Nitobe Memorial Garden 園長・杉山龍氏に、心より感謝申し上げます。