五十歳、下鴨の庭へ
湯川が移り住んだ家は、1933年に建てられた木造住宅でした。桜やモミジなど、季節を感じさせる木々のある庭が敷地の半分以上を占めていました。
ただし、入居した当時の庭はすでに荒れていたといいます。湯川は庭師にすべてを任せるのではなく、相談を重ねながら手を入れていきました。
画像の出典・ライセンス
- 作品
- Tadasu no mori 200906c
- 撮影
- NEON ja、2009年6月7日
- 出典
- Wikimedia Commons
- ライセンス
- CC BY-SA 3.0
- 変更
- Wikimediaの等比例サムネイルを使用。トリミング、色調補正は行っていません。
新居の庭に向き合い始めたころ、湯川は一首の歌を残しています。
移り住む庭広ければ
草木にしたしむ心日々に深まる
広い庭を得た喜びだけを詠んだ歌ではありません。「草木にしたしむ心」が、住み始めたその日から少しずつ深まっていく。庭を所有することより、庭との関係がこれから育っていくことに目が向いています。
庭園は完成した瞬間だけを見るものではありません。木は伸び、苔は広がり、光の入り方も変わります。そこに暮らす人の習慣や記憶も、同じ時間のなかに重なっていきます。
座敷から眺める庭
旧宅の調査記録には、湯川が座敷から主庭を眺めることをとりわけ好み、庭の灯籠の位置も庭師と相談して決めたという記述があります。
灯籠を少し前に置くか、奥へ引くか。木に寄せるか、わずかに離すか。庭を毎日同じ座敷から見る人にとって、その差は小さくありません。
座敷や居間、書斎兼応接室は庭と近く、湯川はそこで本を読み、書や南画に親しみ、研究者や弟子たちを迎えました。話が途切れても、急いで沈黙を埋める必要はありません。窓の外では葉が動き、雨が落ち、午後の光が少しずつ変わっていきます。
庭は、住宅の奥に隔てられ、時折見に行く場所ではありませんでした。読むこと、休むこと、客と語ることの背景にありました。一人で静かに過ごす時間にも、人と向き合う時間にも、同じ庭がありました。
記憶のなかの「庭の構図」
湯川が庭に親しんだのは、五十歳を過ぎてからではありません。
1973年の随筆「庭の構図」で、湯川は記憶のなかに鮮明に定着しているいくつかの構図について書いています。そのなかでも繰り返し浮かんだのが、幼いころに暮らした家の庭でした。
門、土塀と板塀、玄関、竹藪、丸く刈り込まれた柊、一本の桐。庭全体は、絵巻の一場面のように、あるいは少し高いところから見下ろした写真のように、ひとまとまりの像として残っていました。
単に「子どものころ、家に庭があった」という記憶ではありません。門がどこにあり、塀がどう囲み、木々がどのように並んでいたか。庭は、場所の配置を伴う一つの構図として記憶されていました。
別の随筆「自己発見」では、幼い日の家と庭が、家族、遊び、読書、想像の時間を包む一つの小さな世界として語られます。
記憶の庭が、現実になる
幼年期の庭は、のちに失われました。それでも、頭のなかの「庭の構図」は消えませんでした。
五十歳で下鴨へ移ったとき、湯川は草木の多い庭に再び住むことになります。そして、記憶のなかにしかなかった庭とどこか似た構図が、現実の暮らしのなかに戻ってきたと書きました。
二つの庭が同じだったということではありません。幼い日の庭を、そのまま再現したわけでもありません。
けれども、門や塀、建物と草木に囲まれた場所で暮らし、室内から庭を見るという身体の感覚が、長い時間を越えて重なりました。下鴨の庭は、過去を模写する庭ではなく、古い記憶がもう一度息をし始める場所になったのです。
庭の構図は、目で見る配置だけではありません。そこに誰がいて、何をし、どんな時間を過ごしたかまで含めて、記憶のなかに残ります。
南天、苔、金木犀、鵯
下鴨の庭での暮らしは、1970年の随筆「南天の色づく頃」に、より具体的に書かれています。
もともと家から見えていた東山は、向かいに三階建ての建物ができたため、見えなくなりました。視線を遮るために植えた木々は年とともに茂り、庭の苔も次第に厚くなっていきました。
遠くの山への眺めは失われました。しかし近くの緑が育ち、外の建物は枝葉の向こうへ退いていきます。湯川は、色合いの異なる庭の緑が心を落ち着かせたと記しました。
秋には金木犀の香りが幼い日の記憶を呼び戻し、冬が近づくと南天の実が赤くなり、葉も色づく。鵯(ひよどり)が庭へ飛んできて、その実をついばむこともありました。
南天がいつ色づき、苔がどこまで広がり、金木犀がいつ香り、鳥がどの枝に止まるか。それは何年も同じ庭を見て初めて分かる変化です。
名園は、初めて目にした瞬間に強い印象を与えることがあります。住まいの庭の楽しみは、もっと小さく、ゆっくりしています。昨日と今日の差はほとんど見えなくても、ひと月後には葉の色が変わり、数年後には光の落ちる場所まで変わっています。
湯川は、塀に囲まれたこの庭を「小天地」と呼びました。
天地は小さくても、四季が小さくなるわけではありません。植物は芽吹き、茂り、色づき、鳥は来ては去ります。庭は自然界に散らばる変化を、毎日見られる距離まで引き寄せます。
庭とともに暮らすということ
住宅の庭は、名園を小さくしたものではありません。
名園には、訪ねて、集中して見る時間があります。住まいの庭には、長く一緒に過ごす時間があります。朝、障子や窓を開けたとき。読書から顔を上げたとき。客との話が途切れたとき。庭は主役にならなくても、いつも生活の近くにいます。
幼い日の家と庭は、湯川にとって一つの小さな世界でした。下鴨では、記憶のなかの構図が現実の住まいと重なり、長く暮らすうちに南天、苔、花の香り、鳥の訪れが「小天地」を形づくりました。
目に見えない粒子の世界を考え続けた湯川が、家では苔の色や南天の実、鳥の訪れに目を留めていた。二つを直接結びつけることはできません。それでも、未知のものに心を向け、形や秩序のなかに美を感じ取ろうとする感受性は、彼のなかでまったく別のものではなかったのかもしれません。
庭は、人のために止まっていてはくれません。木は伸び、苔は広がり、鳥は勝手にやってきます。人もまた、同じ場所で年を重ねます。
庭とともに暮らすとは、自然を眺めることだけではありません。季節の変化と自分の時間を、同じ場所に少しずつ重ねていくことなのです。